第ニ話:黄昏 踊りだす影

(執筆者:hishio)

 

 

静かに賑わう街を人は行き交う、人の波はこの地で日々別れと出会いという物語を繰り返す。
眠りを誘う眠らない街。アクロポリスシティ・ダウンタウン。
その一角にある酒場は今日も活気に満ちている。作られた灯の下で、多くの温かみのある言葉が乱れをまとう。

そんな人により人の為に作られた環境で、屋内隅のテーブル席に一人座るドミニオンの青年、アステガは不機嫌そうな顔を崩さない。彼にとってはただの地であるその様子は、その場の空気とはあまりに不似合であった。
約束の時間を過ぎてもなお、未だ現れぬ待ち人を彼はそれすらどうでもいいというかのような無気力な様子で俯き、微動だにせずただ待ち続ける。上から下まで黒を基調にしたその容姿は昼下がりに一滴、夜を垂らしたかのようで。周りには彼が時においていかれた置物のようにも見えただろう。

「悪い悪い、待たせたなあ、アステガさんよ」

不意に、彼の向かいからその言葉の内容とは裏腹に軽い調子の男の声がかかった。アステガはその男が身に着けたバーテン服を横目に捉え──その視線を上げることもなく、周りの喧騒にかき消されない程度の声だけを出して応える。

「何の用だ。大した話じゃねえなら帰るぜ」
「ああそうだな、大した用じゃねえ」
「じゃあな」
「おいおい待てよ待てってばよ。このジーマン様がお前の日々の働きに感謝して珍しくメシでも奢ってやろうってわざわざ呼んでやったのにその対応はねえだろ」

立ち上がろうとするアステガをジーマンと名乗った赤髪のタイタニアは口調と、いやらしい笑みを変えずに止める。口角を不自然に吊り上げながらも丸いサングラスの奥でこちらを見下ろす伏せがちの目はまるで笑っているようにはみえない。
そのいつもと変わらぬ見慣れた悪人面を訝しげに睨むアステガは安心感を伴った不快感にすぐに目を逸らし、再び椅子に静かに体を預けた。溜息もひとつおまけ。

「……また何か企んでいることはわかった。で?」
「で……ってひでぇ言われようだな全く。厚意を踏みにじられるどころかあらぬ汚名までかけられるたぁ…」
「じゃあこの店にいる客は何だ。どいつもこいつもテメェのお抱えだろ」

言われ、ジーマンは目を一瞬だけ見開く。驚きからではなく、嬉しさから。
問うことで誘導し、欲した答えを相手の口から聞いた時のような感覚。

「へえ、普段何にも興味を抱かねえお前がよくこんだけの顔を覚えてたな」

そう、人により人の為に作られた環境。これは比喩の話ではない。



ジーマンという男は表も裏もない人間である。正確に言うなら裏の顔だけが存在する人間である。

この世界には俗に冒険者と呼ばれる者達がいる。
強さを磨く者、使命を果たす者、華やかさを極める者、名誉を欲する者。安息を求める者、心を育む者…彼らは一人一人がそれぞれの目的の為、道を拓き、冒険を重ねる。
多くの者はその先で自分だけの宝物を手にし、その宝物を手にさらなる成功へと羽ばたいていく。

だが輝かしい成功者がいるということは同時に欝々とした失敗者もまた存在するということ。

彼らには強さが無い。使命を果たす為の教養も無く、人目を惹くセンスもなければ、名誉を得るための仕事すら見つからない。またその有様では心に安息を持つことさえできない。
そんな未来への希望を見いだせなくなった失敗者達の中からは、それでも成功への憧れを捨てきれずに宙ぶらりんになっている者達が往々にして出てくるものである。
彼、ジーマンはそんな失敗者達をメインに依頼を回すクエストカウンターを経営している。
失敗者達の受け皿になっていると言えば聞こえはいいがその実態は人材をはした金で法も守らず使い捨てにすることを身上とした謂わばインスタントな奴隷市場。また、脅しのような手で選択の余地なく無関係な人物を自らの傘下に加えることも少なくはない。

紛れもなく、この社会にとっての悪。

使われる失敗者たちはいつかなんとかのし上がることを夢見てジーマンに寄生する。依頼を請け、仕事としてこなしていけば冒険者としての体裁は保てるのだから。
ジーマンはそんな彼らを利用する。個々の力は弱くとも、人は数集まるだけで力となることを彼は知っているのだから。
もちろん、このクエストカウンターの存在は公的に認められていない。



「ナメるのも大概にしやがれ。同じリングにいようがテメェをマークしねえ程俺達はバカでもお人好しでもねえ」

未だに目を合わせることなく追及してくる一応友人に、ジーマンは芝居がかった様子で肩をすくめる。

「仲間内でも信用ないねー俺…別にいいけどよ。当然だし」
「で?何企んでる。これ以上勿体ぶるようなら痛覚にきく」
「やめろ馬鹿。俺はお前らみたいなビックリ人間じゃねーんだぞ。…っていうかもう企んだ後なんだけどな。それで臨時収入が入るもんで世話になった奴にこうして幸せのお裾分けしてるってわけだ」
「その内容は」
「おっと悪ぃ、ナビに着信だ……よお!なんか面白い動きでもあったか?」

マナーモードにはしているというのに店内で堂々と通話を始めるジーマンに、それでもアステガの身体は何の反応も示さない。
この男は普段からこうなのだ。必要以上に動くことも、感情を動かすこともない。声も殆ど出そうとしない。自分の身体をセーフモードにする術を知っているかのように可能な限り行動を最小限に留めたがる。

(それだけならまだ利用する術もあるんだけどなー……。)

通話を続けながらアステガを横目で見、ジーマンは独りごちる。勿論声に出さずに。

「……あー……あー、うん、やっぱ予想通りだったわけだな。動いてくれるなら好都合じゃねえか。じゃあ頼むわ。隙見せたらそん時はよろしく。……ん?取り分の話?おう考えてやるよ。じゃなー」

通話を終え、ジーマンはナビゲーションデバイスをポケットに戻す。カウンター向こうのマスターがこちらに冷ややかな視線を送ってきているのを見て見ぬ振りしてからアステガに向き直った。
面と向かった彼は三度目になる短い問いを放つ。

「で?」
「ん?ああ、俺がやらかしたことについてだっけ?そうだなー、どっから話したもんかなー…お前の頭で理解できるように説明するにはー…っと」

椅子から立ち上がる音。

「ツラ貸せ」
「待て待て待て馬鹿短気すぎんだろ!わかったわかったすぐ吐くから暴力反対ここお店の中ですよ困りますお客さん!」

椅子に座る音。

「ふうやれやれ…。じゃあまずアクロポリスにある貴族街、あそこの屋敷の一つに住んでるお嬢さんが以前ある歌謡コンクールに出て襲われたって話、知ってるかい?」
「知らねえ」
「ナビでニュースくらいチェックしといた方がいいぞー。まあ公にはそのお嬢さんが関係してるってことは伏せられてんだがね。…で、それは無事阻止できて襲ってきた連中も捕まったんだが…、そいつらと似たような奴らはまだわんさかいて、そのお嬢さんも…正確にはその娘が身に着けてた宝石なんだが…未だに狙われているのが現状らしいんだわ」
「それとテメェに何の関係がある」
「簡単な話さ───



同じ酒場、屋外のテーブル席に座り、茫然自失といった様子でハルトはダウンタウンの天蓋を見上げている。
何時間そうしていただろう。テーブルに置かれたカップの中身はとうに冷めていた。
目を閉じて、何度したかわからない自問の繰り返し。
自分の身の程を弁えていればあるいは毅然とした態度で彼女を止めることができただろうか。
また何度したかわからない答の繰り返し。それは否だ。
普段から気弱で周囲に流されてばかりいた彼女のささやかな望み。それに非情に徹せる自信が自分にはない。
ティアの願いを叶えてやりたかった。その選択は間違っていたのか。これは甘さだったのだろうか。
そもそもそんな選択しか選べない自分がティアの傍にいること自体間違いだったのでは?
暗く染まる思考にため息を一つ。閉じた目に力を籠める。まるで何かを見ることを拒むかのように。
こんなことになってもなお会いたいと思ってしまう自分の情を否定するかのように。
だがその心に反し、現実は無情にも彼の視界を無理矢理暴いた。

「ハルくん!」

なによりも聞きたかったその声にハルトの目は喜びの色を浮かべる。皮肉にもそれが彼の世界の色を反転させた。

なんだ、結局自分は彼女と一緒にいたいだけの男ではないか。

自分は彼女の隣にいてはいけない。

思考は確信に変わる。



屋敷をとびだしたティアは夜の街に想い人を探す。
はじめの少しの間はアップタウンをまばらな灯りを頼りに探して回ったが、殆どの施設が営業を終えた今、住宅地が多くを占めるこの街では探しだすことはおろか人とすれ違うことすら稀だった。
人探しにはまず人のいる場所に行かなければ。となれば、
ダウンタウンから漏れる灯りや人の息はこの時間であれば可動橋に出ずともわかる。ティアは惹かれるようにそれに向かった。

ゲートをくぐり、アップタウンを後にし、折り返し階段を下る。
下へ下へと降りるごとに心臓の鼓動が大きくなるのを感じた。手に汗がにじみ、喉が急激に乾いていく。
ここにきてティアは震えていた自分の身体に気づく。恐怖心を自覚した。思えば夜の街中を一人出歩くのは初めてのことかもしれない。孤独感に足が竦む。
いままではどこに行くにもハルトが傍にいてくれた。静かな温かさで、いつも自分を見守ってくれていた。
夜空を見上げればそこにある月のように、いつも隣にいてくれたそのハルトが、

今はいない。

「ハル、くん」

周囲が真っ暗になる、視界が狭くなる感覚。思わず出したか細い声に応える者はいない。
冷えていく体とは裏腹に、目頭は熱を帯びる。視界がぼやける。
それでもティアは目を閉じることはしなかった。

会いたい。

その想いを支えとし、精一杯の勇気を振り絞って階段を下りた。うまく動かせない翼を背負い、壁に体重を預けながら、おぼつかない足取りで。
ダウンタウンの街の光が潤んだ瞳を押し返す。人々の喧騒が、彼女のともしびのような勇気を圧倒する。
不安に崩れ落ちそうになる。探し人の名を叫びそうになる。それでも縋るような思いでティアは辺りを見回した。

そしてその目は本当の光をみつける。見間違うはずのない、確かに心から望み続けた黒い光を。
緊張の糸が切れ、頬をつたう涙に構うことなく顔が綻ぶ。悲しい涙が嬉しい涙に変わっていく。
自分の喉が彼の名を呼んだことすら自覚できないまま、ティアは駆け出した。

涙をながしているあたしを、きっとハルくんはやさしく受け止めてくれる。
それから、これからもあたしはハルくんとずっとずっといっしょにいるの。

そんな希望一色となったティアの心は、
ハルトが逃げるように向けたその背に砕かれた。受け止める者のいない涙はまたも地を暗く染める。



足取り重く、ハルトは可動橋を走る。月のない曇り空は一滴、一滴と涙を流す。
背後からティアが自分を呼ぶ声がする。振り返りたい衝動を抑えながら重石のような足を前へ。
自分の足の速さであれば、彼女を引き離そうと思えばできるはずだ。なのに走っても走っても必死に呼びかける彼女の涙声が離れることはない。

一緒にいてはいけないと、ついさっき確かに思ったはずなのに。

後ろ髪を引かれる。今すぐに駆け寄ってやり、その目の涙を拭ってやりたいと思ってしまう。彼女の願いを叶えてやりたいと思ってしまう。

そうした自分の甘さが、彼女を傷つける毒になったばかりだというのに!

「畜生」

固く締まっていた口からうめくように、囁くような声が漏れる。その声をかき消そうとするかのように、雨は次第に音を立て始める。

或いは、雨音に隠そうと声を出したのだろうか。自分の心を肯定したいのか、否定したいのか。

「畜生!!」

葛藤する自分を叱責するかのように再度、今度は声を吐き捨てた。
足が止まる。
気付けば可動橋を越えてアクロニア平原の真ん中にいた。風のない暗闇を肌で感じると何故だか頭が冴えていく心地がする。
空を見上げた。光の気配を一切感じさせないその黒は、容赦なくハルトの顔を水で叩き、濡らしていく。

やはり俺は駄目だ。
やまない息切れを聞きながら思う。
ここにきても、彼女の心に反することができずにいる。
地を見下ろした。小さな野辺の花を、知らずのうちに踏み潰してしまっていたことに気がついた。
この一度きりにしよう。その方が、自分のためにも彼女のためにもなるだろう。
振り返り、膝に手をつき息を整えているティアに向かう。

一度拒絶して、それで終わりにしよう。



「屋敷へ帰れ」

淡々と彼は言う。その言葉の意味を、裏にある苦悩をティアは理解できない。する余裕がない。
早鐘をうつ心臓に追い打ちをかけるように雨が襲う。全身に流れる体温を洗い流していく。
すでに虚ろになった瞳はそれでも彼を求める。今にも倒れそうな身体を支える手を前へと伸ばす。

「ハルくんも、いっしょに」

やっとの思いで絞り出した声が届くことを祈る。
心のどこかで信じていた。どんな事情があっても、自分が手を伸ばせばハルトはそれに応えてくれると。
だって、そうでないなら今まで共に過ごしてきた時はなんだったのか。

「いっしょ、に」

その手に、その声に、

応えたのは冷たい刃。

「もう一度言うぞ。屋敷へ帰れ」

剣を手にし、その切先を自分に向けるハルトの姿にティアの目は光を失う。
悲しみを零すことさえできなくなった。天の涙が熱を上書きする。
剣を持つその手が、自分を気圧すその目が、震えていることに気づいてしまった。
ハルトが傷つきながら拒絶していることが、鮮明に伝わってしまった。
その事実がティアにとってはこれまでの何よりも辛かった。
きっと想いは同じ。だからその痛みがわかってしまう。
彼の心を想うからこそ、ティアは言葉を無くした。

「いいか、よく聞け。ティア」

やめて。もう何も言わないで。声に出せず口だけが動く。

「俺達は出会うべきじゃなかった」

やめて。もう何も聞きたくない。首を振れなかった。金縛りにあったかのようだった。

「俺達は一緒にいちゃいけないんだ」

やめて。もう自分を傷つけないで。



「さよなら」



真の闇の中を進む。
面と向かって告げられた別れの言葉に、心落とされた体は意味なく地を漂い始めた。
視界には何もない。行けども行けども真っ暗闇が広がるばかりで、
どちらが地面でどちらが天かもわからない。地に足をついているのか、浮いているのかもわからない。
確かに体は動いているのにその感覚すらもはっきりしない。
何の匂いもない。音さえ感じない。降っていたはずの雨を体に感じることもない。
全てが洞々たる有様。自分自身の体さえ、今のティアにはどこにあるかもわからない。
本当に何もない。何もない。何もない。
なのに怖がることもできないのは、それだけこの光景が現実味を持たないからか。
もはや現実を受け止めることを、拒絶してしまっているからか。
ではこの自分は、一体何を求めて彷徨っているのだろう。

不意に脚に、腰に、腕に、肩に、顔に、無数の冷たい手がまとわりついた。
それらは氾濫した河の水のように五体を絡めとり、強引にどこかへと引きずり込んでいく。
自分の意思さえも否定された気がした。抵抗する気にならなかった。
何かを欲することを諦めたかのように息を止め、目を瞑る。人の流れに身を任せる。

そして幽かにあった意識が消えていく中で、
どうか今日という一日が悪い夢でありますようにと願った。

おやすみなさい。またあした。



「なるほど」

場所を戻し、ダウンタウンの酒場。
先までと違いアステガはジーマンのニヤケ面をしっかりと睨めつける。テーブルに両肘をつき、組んだ手に口を隠しながら、独り言のように言葉を続ける。

「つまり、その女の宝石を狙っている組織の一つがテメェと元々繋がりのあるとこで、今まさにそいつを誘拐しようとしている。それにテメェは一枚かんでいる。この店を飼い犬だらけにしたのもその一環か」
「そゆこと。んでここでさらに新情報だ。表に出てみな」

言われ、アステガは躊躇いも焦りもなく椅子から立ち上がり、屋外へと出る。
目と耳よりも先に肌が静寂を理解する。その場で先刻まで咲いていた人の気配の一切が消えていた。
席は既に冷えており、動揺の色を顔に浮かべた店員が一人、もぬけの殻の後片付けに追われている。

「おう、ガラは確保できたかよ。……そいつあ重畳だ。…………ああ、その別れてどっかいったっつー野郎の方にはもう手ぇ出さなくていいからな。奴さんの要求はそのお嬢さんだけだから。ついでで命落としたくはねえだろ?」

振り返ればジーマンはこちらにゆっくりと歩みを進めつつ、またナビゲーションデバイスを片手に通話している。
周囲に会話の内容が聞こえないよう、小さく声を出すその口はさらに歪みを増している。猫背であるがため、ピンで止めている前髪が目元を隠している様がより不気味さを醸す。

「んじゃさっき教えたとこまで丁重にお連れしなよ。傷もんにしたら俺らの縁はそこまでな。…また分け前の話?お前も大概みみっちいね。考えてやるよ。じゃなー」

そこまで話し、逃げるように通話をきる。ナビをそのまま指で弄びながら店外の様子を見渡して一息つくと、そのまま続けるように話を再開した。

「とまあ、それが終わって金を貰って、さっきまでここにいたやつらに小銭渡せばお仕事完了ってわけだ。本当は以前の騒動の時に確認したつがいっぽい野郎をエサにして釣りした後、そいつもウチで使い潰そうと思って人数用意したんだけどな。お嬢さんの方から姿見せてくれて手間省けたわ」

平然とした口調で流れた吐き気を促しそうな発言に、アステガはまだ眉も動かさない。

「そういうわけで中戻ってなんか食おうぜ。店閉まっちまうよ。好きなもん好きなだけ注文していいぞー。今日の俺は羽振りが…良くなる予定だから特別な」
「何故今その話を俺にした」

踵を返そうとするジーマンをこのやり取りにて生じる最大の疑問が止める。
振りむいた顔からはここにきて初めて笑みが消えており……きょとんとした少年のような、何故そんな問いをするのかわからないとでも言うような表情をしていた。

「そりゃお前、ただの自慢だけど?」
「…………」

時が凍った。アステガの鉄仮面のような表情からもようやく力が抜けた。少しだけ口があく。
不自然な風が音を立てて通りすぎる。どこかから数回木魚をうつ音が聞こえた気がした。

「フンッ!」
「ン゙ッッッッ!!!ンン゙ッッッッ!!!!」

ジーマンの股間に勢いよく放たれた前蹴りが時計の針を強引に動かした。木魚の音を締めくくるように『チーン』と軽く高い金属音がまたどこかから聞こえた気がしたが勿論そんなものは気のせいである。
白目をむき、強打した部分を抑えながら内股にした膝から崩れ落ちる。うずくまり、悶えながらもジーマンは泡吹く口から不服を絞り出す。

「お、おお、おお、おおおお前、同じ男として、ソレするかフツー……。ガキ作れなくなったらどうしてくれんだよ……」
「そりゃいい。次の世代が平和になる。……靴、新調するか」
「しまいにゃ怒るぞお前……つか、マジでどうしてこういうことすんの……?」
「なんかムカついた。それが狙いだったんじゃねえのか」
「駄目だなんも言えねー……」

気の抜けるやり取りが終わるとジーマンは丸まり、苦悶の声発生装置となった。場所も構わず。
店員の目が集まっているのを煩わしく思い、アステガは呻き声を上げ続ける物体の襟首を掴んで引きずるように酒場を後にする。舌打ちもひとつおまけ。
もはや人影もまばらな深夜の街のすみ、街灯の光が弱く照らす塗装の禿げた壁伝いを歩く。薄く、長い影も同じく壁を動いていくのを目で追う。

「一応確認だ。その組織には顔と声は知られているか」
「んああ?あー、直接会ったことはねーし通話は変声使ったしー……」
「なら全部捕まっても問題ねえな。俺を組織に仲間としてねじこめ。信用されてるテメェならできんだろ」

充分人目から離れたところで引きずっていたものを地へ捨てる。
下腹部を擦りながら未だに立ち上がれないでいるジーマンは今度こそ本当にわけがわからないといったように引きつった顔をした。その動作が人を苛立たせるものだとこの男はわかっていない。

「そりゃ無理じゃねえだろうけど、んなことしてどうすんだよ?」
「あと俺が潜入するのと同時に騎士団にテメェの持つ組織に関する情報を全て匿名でリークしろ。不服なら二つとも金で買う」
「まあ元からその情報売ってさらに金儲けするつもりだったし……っていやその前に質問に答えろって。んなことしてどうするつもりだ?」
「件の誘拐を内側から台無しにする」
「何で?今更正義の味方気取るようなガラでもねえだろ?」
「気に入らねえから。それだけで十分だろ」

そんな身も蓋もない。ジーマンは気が遠くなるのを感じた。

「……さいですか」

そう、アステガという男がただ無気力なだけの存在ならいくらでも利用する方法はあるのだ。
だが彼は時により理屈の通じない我の通し方をする。その行動原理には損得勘定も善悪もなく、ただ自分にとって気に入るか気に入らないかという極めて主観的な価値観だけが存在する。
それに基づき行動を始めたが最後、何人かの例外を除いて誰の言葉にも聞く耳をもとうとしないし、止まろうとした姿を見たこともない。ある種の諦観さえ感じさせるその投げやりな我儘には、こちらが折れるか逃げるかする以外に対処する方法はない。

「はいはい、仕方ねえなあ。んじゃその意気に乗ってやるよ。こういうマッチポンプなら得意とするとこだしな。ついでに向こうさんに適当にガセネタ流してお前を動きやすくしてやる」
「そうか」
「礼は無しかよ。まあ協力しなくても一人で突っ込んでただろうけどな、お前なら。どうせそうなるくらいなら謝礼金でも目当てにさせてもらうさ。ゼロよりゃイチバチだ。……もし出たら俺にも回せよ!いいな!?さっきのアレの慰謝料も込みだぞこれは!」
「出たらな」
「ケッ!」

最後まで相変わらずの反応を返す相棒に……向こうはそうと認めてはくれないが……軽く口の端で苦笑を飛ばして返した。なんとか立ち上がり、未だに続く筆舌に尽くしがたい痛みにふらつきながら諸々の準備のために帰路を辿る。
それを見たアステガもまた同様に。足早に進んでいく。

「おい待てコラ!」

見るからに人のことを考えていなさそうな背に吠える。聞こえていないことはないだろうに速度を緩めることはない。
自分でも理由がわからないが、何一つ思い通りにいかないその我儘をジーマンはそれなりに気に入っていた。

 

 

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