こうしてあなたは、悲しみを奪い去る。 あたしはつまらないことで怒っていた。怒る、よりは寂しいだけなのかもしれない。 ハルくんと待ち合わせをしていて、先にハルくんが来ていて。それから、女の子と何やら楽しそうに話していた。たくさんのチョコレートを差し出されながら……。 それを見た時、あたしはあの日見た光景を思い出したのだ。酷く胸が痛くて、辛くて、泣きたくなって。 「おい……そろそろ機嫌直せよ」 「むぅ」 二人っきりになってからずっと、ハルくんの胸板に顔を押し付けながら、顔も上げずにじっとしていた。 「チョコは誰からももらってねーから」 「むぅ」 それは分かっている。 あたしが走り出したのを慌てて追いかけてきたことを知っているから。女の子に優しく断って、誰からもチョコレートを受け取らなかったことだって知っている。 だからあたしは、もう意地を張る必要なんてない。なのにまだこうして気まずいやり取りが続く。ハルくんが誤って、あたしは意地を張ったまま。 普段なら絶対にこんなことはしない。自分の意見を言うことだって我慢するし、そもそも険悪な空気は好きじゃない。相手がハルくんだからこそ素の自分を出せていると、ある意味喜んでいいことかもしれない……けれど、やっぱりこのままじゃいけない、とは思う。 理由は簡単だ。 あたしはまだ……チョコレートを渡せていないのだから。 心のどこかで、あの日の出来事が引っかかっているのかと思う。 大好きな人が、知らないうちに他の誰かと仲良くなって、割って入れる自信がなくて、結局渡せなかったチョコレート。 その後泣きながら食べたチョコレートは、甘くしたはずなのにすごく苦かった。 行き場を失った想いを意識する度に、胸は酷く締め付けられたし、言えなかった言葉を忘れるのにも時間がかかった。 さすがにもう好きとは思わない。 今、あたしの傍にいる相手が、大切なものをくれたから。 恋が楽しくて、幸せで、時々苦しくて、悲しくて……。 たくさんの色や表情があることを、彼が教えてくれた。 悲しみで埋もれたあたしを引っ張り出して、助けてくれて、いろんな感情を塗り潰してくれた。 それは誰でもない、大好きな、あなた。 「ティア」 あたしの思考を遮るように、ハルくんが名前を呼ぶ。 埒のあかないやり取りに怒ってしまっただろうか? 今顔を見るのは怖いのに、あたしの両肩をがしっと掴んで身体から引き離したハルくんとしっかり目が合っている。 「お前が心配するようなことは何もねえから。俺はあそこでティアを待っていたし、ティアのそんな顔は見たくない」 その声色は、他の誰にもしないような優しいものだ。 他の相手でも優しいには変わりないけれど、あたしのとは温度が違う。 あたしと話す時のハルくんは、本当に心地よい温度で、自然と安心するようなトーンで話してくれるのだ。 いつだってハルくんは、あたしを優しく包み込んでくれていた。 全部分かっていたのだ。 あたしを一番に考えてくれているハルくんのこと。 あたしが一人で勝手に突っ走っていること。 目頭が熱くなって、泣きたいなぁと思っているところで、ハルくんはあたしの方に頭を押し付けた。 まるであたしのすべてを見透かすように、気を遣って顔を見ないようにしてくれたのかと思うと……そんな優しさに触れる度、またハルくんの好きが積もっていく。 そうやって、悲しい思い出が少しずつ、ハルくんの好きで見えなくなっていくのだ。 「なぁ、ティア」 近距離から甘く囁くような声が聞こえる。 不覚にもドキッとしながら、あたしは荒れる心音に気付かれないことだけを祈った。 「もう、他の女と話したり関わったりするの、やめた方がいいか?」 だが、そんな祈りも虚しく、更に心音はおかしくなっていく。 甘い声にくらくらしそうな状況で、驚くようなことを口にするのだ。 「えっ」 意地を張ることも忘れて、ただひたすらに動揺する。 「そ、そんなっ」 だんだんと混乱していく頭の中で、あたしは反射的にそう叫んだ。 本当なら、ハルくんの言う通りにすれば、確かにあたしは不安から解放されるかもしれない。 悲しい思い出を思い出すこともなく、怯えることだってない。 ……でも、そうやって縛りつけてしまうのは、何かが違うと思うのだ。 「ティアが安心できて、それで解決するなら俺はそうするぞ」 肩から離れたハルくんは、近くから微笑みかけた。 安心するような表情に見えて、眼光は酷く鋭い。多分、本気だ。 ……そして、あたしのこともお見通しなのだろう。 「……ううん。そこまで、しなくていいよ」 「でも不安なんだろ?」 「それでも、いいの」 なんだか少しだけ気分が軽くなって、ようやく少しだけ笑うことができた。 バレンタインは悲しい思い出のせいで、少しだけ憂鬱だった。……そのせいで、ハルくんにも嫌な思いをさせてしまったことは、反省しなきゃいけない。 二人が恋人になって、初めてのバレンタイン。 いろいろと夢見ていたけれど、結局うまくなんていかなかった。 変に気まずくなって、悲しいことを思いだして、勝手に一人で空回りばかりしている。 それでも、いろんなことを、ハルくんのことを考える度に、好きが再確認できるのだ。新発見もあるし、気持ちばかりがどんどん大きくなる。 そんなあたしを受け止めてくれて、今でもこうして傍にいてくれるのは……それだけあたしのことも想ってくれているという証拠。 変わってしまうものもあるかもしれないけれど、でも、今はちゃんと、お互いを想い合っていることをあたしは知っている。 「大丈夫だ。俺の一番はティアだから。今までも、これからも」 そう。あたしはハルくんの言葉に何度も救われて、悲しい気持ちも奪われて、ぽっかり空いたところには好きで埋めてもらった。 「うん。あたしも、ハルくんが世界で一番だぁいすきだよ」 言葉をもらうと返したくなって、あたしも素直な気持ちをそのまま伝えた。 意地を張っていた自分なんてまるで最初からいなかったのではと思うほど、今は素直になりたいと思う。 ハルくんは嬉しそうに、だけど少し照れたような顔をしながら、ほんの少しずれた眼鏡をくいっと上げるのだった。 「よし。じゃあそろそろ……渡してもらおうか」 場を仕切り直すように、ハルくんは直球でそう言った。 「俺はティアからのチョコを死ぬほど楽しみにしていたんだ。今日ティアのチョコを食べないと俺は死ぬ」 「えっ! 死んじゃやだ! ハルくんっ!」 「え、おわっ」 冗談だってどこかで分かっているはずなのに何だか驚いてしまって、あたしは勢いでハルくんに抱きつく。 突然の行動に対応できなかったハルくんは、バランスを崩してそのまま後ろに倒れてしまった。明らかにあたしが押し倒した状態になっている。 「……大胆だな、ティア。まさかあたしがバレンタインチョコとか言うんじゃ……」 「そっ! そんなこと言わないもんっ! ハルくんのばかばかっ」 「いてっ! 冗談だから落ち着け!」 「むう〜〜〜〜!」 思い描いていたバレンタインは、一つも叶わない。 だけど今年、あなたにまた、あたしは救われたみたいだ。 それは、悲しみが好きで埋もれていくのを感じ取ったから。 「もう! ハルくんなんか……大好きなんだからね」 だから、あなたと過ごす日々が、どんどん特別になって、どんどん好きになっていくんだ。 |
2015.03.24