第五話:閃火 止まらない勇気を

(執筆者:hishio)

 

 

天井に連なり天を黄ばんだ銀色に照らす蛍光灯。そのひとつがぴん、ぴんと音を立てて明滅している。
動力の音が低く響く、金属の板で覆われたような廊下。そこの半ばに壁にもたれかかって佇む人影が一つ。
廊下の両端にはティアが囚われていた部屋と甲板へとそれぞれ続く通路に接続したT字路と、外への裏口の一つである小さな扉。彼、アステガは足元にまで落とした視線を向けることなくT字路の方へと注意を払っていた。扉の窓から漏れる白い陽光が人口の光よりも強く、寒々しい床と血色悪い彼の横顔を照らしている。その様は趣きだけでもどこか肌寒さを感じさせた。
ティアの脱走という爆弾、飛空城の動力部へと仕掛けた爆弾。二つの舞台破壊の手はずを整えた彼があとできることといえば、ティアが助かる可能性を増やすために城内部へと余分な人が入り込まないようにすることくらいのもの。
あとは窓の外より騎士団が姿を現わすのを待ち、仲間にナビで爆弾を起爆する合図を送った後ここを脱出すればいい。

眠るように何もせず、何も考えず、何も起こらぬまま時間が過ぎるのを十数、数十分とただ待つ。
そのうちに、警戒の網に二人分の足音がかかった。
T字路甲板側から聞こえてくる。音の間隔が短い。走っている。かなりの速度で。
その焦りがとうとう人質を逃がしたことがバレてしまったことによるものだとしたら、面倒事にするよりも潮時として適当にやり過ごした方がいいだろうか。
結論を出すよりも早くその二人が残像を引きながら視界に入り込んできた。黒衣を身にまとったイクスドミニオンと片手に拳銃を持った硬そうな髪をしたエミルの組み合わせ。
のんきに観察していた自分の目と、こちらをちらと確認してきたその二人の目がかち合う。
次の瞬間、アステガの目は緩めていた力を取り戻し、見開いた。その理由は驚きから。
長剣を腰だめにした黒い突風が、問答する気無く一足飛びにこちらへ襲い掛かってきていた。



両手剣が潜入作戦に向かない理由は隠密性が無い点もそうだが、最大の問題は狭い空間で戦闘が満足に行えないことである。
今回のような狭い通路で長物を本来の威力を発揮させようと扱おうとした場合、振るう前、或いは振るった後に天井か壁に刀身が接触してしまい、その振動で思うように攻撃力を出せないばかりか、その行動、次に考えていた行動が不発に終わってしまい大きな隙を晒す恐れがある。
刺突であれば問題ないと思うかもしれないがその場合は回避された時のリスクが大きなものとなる。横に振るい二の太刀を浴びせるのは先に言った問題が当てはまる。そして突き出した体勢を立て直すまでは壁があるため横へ距離をとることもできない、重心が前に出ているため後退もできない、とほぼ無防備になり、その間にゼロ距離まで詰められてしまえば突きという行動自体がとれなくなり詰みとなる。
戦い方を引き斬る、押し斬るといった行動に限定すれば戦えなくはないだろうが斬撃において縦、横方向へかかる力が弱くなるというのは攻撃範囲の減少及び防ぐのが容易となることを意味する。また、急所に当てれば話は違ってくるものの、そうでない場合、相手の体制を大きく崩せないため肉を斬って骨を断たれる展開になる可能性がある。
そういった問題があることがわかっているため、アステガもまた身の丈程ある鉄塊のような剣を得物としておきながら、この場での戦闘ではそれを背にしたまま一度も使用していない。
剣、とりわけ大剣といった武器は広い空間で振るって初めて本来の力が発揮できるものなのだ。



ぱんっ!

ハルトが剣を振りぬくと銃声とは明らかに質の違う破裂音が鳴った。
反射的に後方へと下がったアステガは、突然のことにあっけにとられたジンは、目を疑った。

先程までアステガが立っていた場所を中心にして、廊下が大きく球形に抉り取られていた。

点への攻撃である刺突。線の攻撃である斬撃。剣による攻撃は基本的にその二種類に限定される。衝撃を飛ばすといったそれ以外の技術もあるにはあるのだが、これはそれらとは次元が違うもの。
一瞬の内に無数の斬撃で空間を埋め尽くす、剣による三次元的範囲攻撃。ジリオンブレイド。
その技だけでいえば──途方もない鍛錬の末、極めるところまで極めればの話ではあるが──剣の道を進んでいけば使えるようにはなる一般的な剣術であるため、使い手がそこまで珍しいかといえば否である。だが今ハルトが見せたそれは威力の面において明らかに常軌を逸していた。
技の範囲であれば剣の障害などものともせず、天井、壁、床に至るまで全てが粉みじんになるどころか無くなっている。その様はさながら一瞬だけ小さなブラックホールがハルトの前へと現れたかのよう。これでは長物の弱みもなにもない。葱の先のように削られた蛍光灯が、傷口から一度虚しく電気を漏らした。

「ッ!」

戦慄し、刹那に近い間とはいえ思考を止めてしまっていたアステガは再び剣を腰だめにしたハルトを見て我に返った。その殺気に背筋に冷たいものを感じた。本能に従い、またその場から後方へ大きく飛びのく。
破裂音。
二度目のブラックホール。再び自分が先までいた場所が球形にくりぬかれる。またいっそう天井だけが暗くなった。

冗談じゃねえぞ。

アステガは声に出さず毒づく。こんな技を出され続けては戦い自体が成立しない。
常識外れ過ぎて分析が追いつかない相手にアステガは焦りの色を顔に出す。自分の背後の空間にもはや余裕が無く既に扉を背にしてしまっているという点にもまた後の無さを感じた。
この騒動を表で起こす訳にはいかない。表にいる人間達にまで同じように襲われてしまっては本当に逃げる手段が無くなってしまう。
そもそもなぜこの男は自分に斬りかかってくるのか。人質を解放した場面は誰にも見られていないはず──いや、それを考えるのはあとだ。
最早一刻の猶予もならぬとばかりにハルトは三度剣を腰だめにした。考える暇も迷う暇もない。
後方には避けられない。となると生き残る道があるとするなら一つだけ。
記憶から二度見た剣技を可能な限り鮮明に頭の中に映像として再生。参考にして次の攻撃の推測。観察開始。
背の大剣を抜いて力強く右足を踏み出した。理不尽な死がもう目の前に迫ってきていた。



今度こそ仕留めたと確信したハルトはまずその場に響いた金属音に驚愕する。
見てみれば金属の塊のような大剣が刃を大きく毀らせながらも自分の放った斬撃を受け止めていた。
そう、金属の塊のような。ハルトがその光景を信じがたいものと感じたのは相手の持つ得物故にであった。
唯の鉄塊であればハルトの剣は容赦なく消し飛ばすことは先に見た光景の通り、ではなぜアステガは彼の剣技を受け止め得たのか。
刃物を扱うにあたって一番の基本となるのは「刃筋を立てる」こと。いくら切れ味がよかろうと、使い手の力が圧倒的であろうと、刃を斜めにして叩いてしまっては対象を切り裂くことはできないのは誰もが想像できるところであろう。
その「刃を斜めにして叩く」という状況を、アステガは力ずくで相手に強制させたのだ。
剣と剣が接触し、アステガのそれが斬り飛ばされんとする直前、ハルトの斬撃が刀身を通ろうとした瞬間を見計らってその刃筋が斜めとなるように、全身全霊の力を剣に加えて傾ける。そうすることでハルトの剣をその瞬間だけなまくらとすることに成功した。
ジリオンブレイドが斬撃の集合によって放たれる技だとすれば初撃さえ見切って受け止めてしまえばそれは不発する。これはハルトの猛進に対してはこれ以上ない攻略法であった。
理屈の上での話である。実際に成すことがどれだけ難しいことかなどはもはや語るべくもない。

「くっ!」

一瞬だけ放心してしまったハルトは気がつくとすぐに間合いをあける。退く為ではなく、次の攻撃を展開する為。
こんな敵に手間取っている暇はない。一刻も早くこの場を片付けてティアの捜索を再開しなければ。
その焦りが、二度の偶然は無いだろうという甘い思考を生んだ。いや、それはハルトの力を目の当たりにした者なら誰でも正しい判断であると思ったろう。それは勿論アステガにとっても。

二度目はない。

ハルトは腰を落とし、また剣を左腰へ。顔を上げて斬り掃う敵の姿に狙いを──

さだめようとしたところで異変が起きた。景色が、残光を帯びて時計回りに回転を始める。
足が地についている感覚が無い。重力が体を支配している。
次に胸部へと衝撃が走る。何か硬いものが肋骨を鈍く打ち鳴らした。口から全ての息が己の意思とは無関係に漏れ出す。とくん、とその瞬間だけ心臓の鼓動がやけに確かに感じられた。思考が追いつかぬ間に浮遊した体が後方へと大きく飛ばされる。
床に叩きつけられ、少し滑ったところでようやく体の自由を取り戻した。本当に誰かに操られた体をようやく取り返した気分だった。圧迫された胸部に息苦しさを覚えるもその肺は呼吸を受け付けてはくれない。何度か力ない咳をした。
手をつき起き上がろうとする最中、朦朧とし始めた意識で敵の姿を目で探した。真正面、こちらへ右の靴底を向けている。

ハルトは察した。恐らく、攻撃に移行しようとしたところを足払いにかけられたのだろう。その後、浮いた体に渾身の蹴りを見舞われたのだ。
二度目はないとはよくいったものだ。今度は初太刀を放つことさえさせてもらえなかった。
焦りの余り、相手の力量を侮ってしまっていたことにハルトはここにきて気付かされた。目の前にいるこの男は考えなしに突撃して勝てる相手ではない。地の利がいくらこちらにあるとはいえ、攻撃が届かなければどうしようもない。
そしてその地の利は、もはやこちらのものとは言えない。
自分が今倒れている位置と敵が今立っている位置。その間には先までは無かった大きな空間が広がっている。自分が二度に渡り大きく削ってしまった空間が。大剣を振るうに十分な空間が。

ハルトが体勢を整えるのを待たず、とどめを刺さんとアステガは剣を片手にハルトへと突進する。彼にとってはこれは千載一遇のチャンスであるといえた。地力で自分に勝るだろうハルトを倒すためにはこの機を逃す手はない。
眼前に死が迫った時、ハルトは奇妙な体験をした。
耳に栓がされたようだった。ジンが自分の名を叫ぶ声が遥か遠くから聞こえた気がする。
視界がスローモーションになったかのようだった。神速と呼ぶに相応しい速度でこちらへ斬りかかってくる敵の動きが、はっきりと見えるばかりでなく、その先の映像、その結末が完璧に予測できた気がした。
骨を砕き、命を絶たんとする刃が自分の体に振り下ろされる。

まだ死ねない。

いつか見たティアの笑顔とその言葉が脳を埋め尽くす。と、全身に力が漲るのを感じた。

まだ剣はこの身を砕いていない。

無理な体制のまま向かってくる敵に向かって足を踏み出した。

まだ命は絶たれていない。

右手に持った剣を溢れる力に任すがまま振り上げる。

「うおおおあ!!!」

その力は、叫びは、燃え尽きる前のロウソクか。それとも──



がらん、がらんと響く大きな音に合わせて床が震える。
音を鳴らしたのはアステガが振るったはずの剣だった。それは彼の手には既に無く、彼が通った軌跡の半ばへ弾かれ飛んでいた。
それよりさらに奥、先までアステガが立っていた場所には入れ替わるようにハルトが前のめりに立っていた。右手に持った剣を背にする程に降りぬいた姿のまま固まっている。
今の一瞬の内に何が起こったのか。直線上で繰り広げられる戦いに手にした銃を撃つこともできず見守っていたジンは全てを目撃していた。

アステガの振るう刃がハルトを捉えたと思われたその時、ハルトの姿が消えた。

正しく言えば、消えたのかと錯覚する程の速度でアステガとすれ違っていた。
その速さは初動だけで助走距離があり勢いづいていたアステガのそれを優に超え、振り上げた剣は重力などお構いなしに相手の得物を容易く弾き飛ばした。
宙を舞ったのが得物だけで持ち主まで仕留めることができなかったのは、ハルトの体が万全の状態ではなく、放った一撃が闇雲なものとなってしまったからだろう。得物が切られることなく弾かれたのが何よりの証拠である。もし彼の体勢が崩れていなければ、酸素不足で頭を重石にされていなければ、その剣はアステガの体までも簡単に真っ二つにしたに違いない。カウンターのような形になったため、見切れる余地なども無かったろう。

「すげぇな……」

その圧倒的なまでの力にジンは他の言葉が出せなかった。以前劇場で共に戦ってハルトの強さはわかっていたつもりだったがまさかこれほどとは。
あまりの衝撃に痺れたのか、右腕をあいた手で押さえてアステガは舌打ちをする。
手放していた意識を取り戻したかのように、そのままの体勢で深呼吸をしてからハルトはゆっくりと直立した。

二人は互いに振り返り、向き合う。

アステガが自分に向けた背を見て、即座にジンはこの男がまるで諦めていないことを察した。
先程からこちらに全く気を回さないのはひとえに仲間への誤射の恐れがあるこの地形故であろう。その態度を改めるそぶりを見せないということは、そういうことだ。諦めの色を出すとしたら降参の意思表示か交渉を持ち出すかで少しはこちらにも意識を向ける筈。
しかし今のこの状況。大方の勝負はついたというのは三名共通の認識だった。

「ストップ!」

ジンは言葉で割って入る。

「ハルトさん落ち着いて!俺たちの目的を忘れたわけじゃないっすよね!そっちの人、俺達はあんたらが誘拐したティアって子を助けにここに来たんだけど、ここらで観念してその子の居場所を教えてもらえねーかな。これ以上続けても勝機は薄いってことくらいわかってんだろ。」

そう、自分達は戦いにきたのではない。ティアを助けにきたのだ。
ここでまだ足踏みを続けて他の敵に見つかりでもしたらそれこそ最悪だ。応戦していた彼もそれを狙いに時間稼ぎをしていた可能性は十分にある。
だがハルトの力に真正面から打ち負かされ、武器をなくし、挟み撃ちにされる形となり、それでも命の危険を察せない程の馬鹿はいないと確信する。
これ以上の戦闘は互いにデメリットが多すぎることはきっと二人ともわかっている筈。
もし双方折れるとしたらこのタイミング以外にない。
祈るような心地でした提案だったが、それに対する敵の反応は意外なものだった。

「何だと?今なんつった?」

またこちらへ振り返った彼は怪訝そうに確認を求めた。聞こえなかったという様子では無く、本当に言っている意味が解らないというかのように。
自分達が潜入した理由が他にあるとしたらどんなものを想像していたというのか。



失敗する可能性のあるものは、失敗する。そんな法則を唱えたのは誰だったか。
アステガの服のポケットからけたたましい音が鳴る。その着信音は潜入している組織との連絡用に用意したサブのナビゲーションデバイスのもの。
警告を受ける前にアステガはそれを取り出した。内容を手早く確認して一言。

「『城内にて侵入者あり。増援求』……だとよ。見られてたらしいな。」

聞いたジンとハルトは後頭部を殴りつけられたような心地になった。焦燥感が背を襲った。
また、そのメールが二人には届いていないのを見てアステガは大体の事情を把握した。
この二人は組織の人間ではない。ならば争う理由はない。

「くそっ!一刻も早くティアを…!」
「やめとけ。すぐに増援が来るだろうしそこから先の道は行き止まり以外はこの城の屋上まで一本道だ。そいつまで戦いに巻き込みてえなら止めねえが」
「じゃあどうしろって言うんだ!ここまで来て諦めて帰るつもりはねえからな!」
「どっちみちこの作戦は失敗っす!どうするかな……総隊長に支持を仰ぐか……」
「落ちつけ」
「「ってなんであんたがさも当然のように話に入ってきてんだよ!」」

先まで敵だったはずのアステガに宥められた二人は声をそろえてツッコミを入れた。冷静に考えなくとも変な絵面だ。

「落ちつけってんだろ。さっきの問いには答えてやる。そのティアってのはもう解放した。今は諦めてねえ限り屋上向かって進んでいるはずだ」
「なっ……ふざけんなよ!そんな話信じられるか!」

大切な人を奪われたハルトの立場なら信じられないのも無理からぬ話。それに彼らは敵の本拠地に潜入してきたのだ。他に味方になりえる人間がいるなどと想像できるわけがない。だからこそ先程もハルトは早々に斬りかかったのだ。
何より今話している相手は先まで壮絶な殺し合いを演じていた相手だ。疑ってかかって当然だろう。

「信じねえならそれでいい。……パラシュートかなんか、非常時にここを脱出する手段は」

ハルトの激昂を平然と躱し、アステガは幾分か冷静そうなジンに向かって声をかけた。

「なんもない」
「そうか。確認だがテメェら騎士団の一員だな」
「いや。正確には違う……連携はしてるけど。別の治安維持部隊だ」
「他の仲間は」
「いない。俺達だけで潜入した」
「本隊がいるんだろ。どこにいる」
「かなり遠くで包囲網を敷いてる」
「すぐ呼べ」
「…………」
「迷ってる暇も他の選択肢もねえと思うが」

ジンもまた警戒と混迷の最中にあった。そうされたら困るのは彼らの方ではないのか?
だが確かに他に選択肢が思いつかないのも事実。ハルトと二人だけであの大群を相手にしたとして……それだけでも絶望的だというのに、もし今の殺陣で目の前の男が見せた戦闘力がこの組織の基準であると仮定したら生き残れる可能性はゼロに近い。

「……すんませんハルトさん、ちょっと待っててくださいね。連絡とる間妙なことしないようにその人見ててください」

言うとジンは返事を待たずキリヤナギと連絡をとり始めた。

「……わかった」

了承の言葉を空に投げたハルトは数歩アステガに近づき、ボロボロになったアステガの剣を足元にして止まった。扉とアステガの姿がすぐ目の端にとらえられるよう、壁を背にして横目で監視を始める。不機嫌な様子を隠す素振りも見せず、腕を組んで溜息をついた。
アステガは棒立ちのままそのハルトを真っ直ぐに見て、ついでを言うかのような平坦な言葉を続ける。

「その間にテメェにはこの城の今の状況で重要なことだけを説明しておく」
「いらん。信じられるとは思えないからな。俺達の気を逸らそうとしてデタラメ吹き込んでることだって──」
「なら俺が今から言うのは独り言だ。聞きたくねえなら殴って黙らせるなり斬り殺すなりすればいい」
「……ッ、勝手にしろ!」

苛立っているのが自分だけなのが腹立たしかった。何故この男は殺しかけ、殺されかけた相手とこうも自然に会話ができるのか。それもいつ自分が殺されるかわからないようなこの状況で。

「まず一つめ。さっき言ったことは事実だ。屋上とそこまでにいた組織員は全員潰しておいた。今まで俺がここにいたのも屋上までのルートに人が入らないようにするためだった。囚われていたあいつには空に騎士団の飛空庭なり城なりが見えたら助けを呼ぶように言ってある。もちろんそれで確実に助かるとは限らねえが」
「…………」

無言でハルトは聞き流す。アステガは淡々と、早口で続ける。できるだけ早く言葉を終えるようにと。

「二つめ。この城の動力部……無くなったらこの城が堕ちるような場所に爆弾を仕掛けた。俺がナビで合図を送ったらこの城の外にいる俺の仲間が起爆する手はずになっている。騎士団の姿が見えたら爆発させて攻め入る隙を作ろうと思ってたんだが、テメェらみたいなのが来たならこいつは無駄だったかもな。だが艦隊戦レベルの規模の戦いになれば何らかの要因で起爆することも考えられる。頭には入れといた方がいい」
「…………」
「三つめ。この城の操作パネルの電源は落ちている。つまり再起動しない限りは誰も正規の手段では脱出も入城もできない。再起動するための電源を管理している部屋は屋上までのルートの途中だ。」
「…………」
「四つめ。今まで説明してきたことを踏まえての話、今連絡してる本隊がここに到着しさえすれば生きて帰ることはできるだろう。その間は時間稼ぎが必要だ。だがその為に爆弾を起爆するわけにはいかない。救助が間に合わなくなる可能性があるし混乱に乗じて離脱することもできないからな」
「…………」
「そこは俺がなんとかする」
「は?どうやって?」

ここで初めてハルトは顔を上げた。アステガは顎でつきあたりの扉を示した。

「その扉は甲板への裏口になってる。そこから出て暴れる。そうすりゃテメェらと俺、両方相手することになり向こうの戦力は二分する。これなら多少は持ちこたえられるだろ」
「死ぬ気か?」
「死なねえ」
「……最初から最後までにわかには信じられないような話ばかりだな。それにそんな勝手、俺達が許すと思ってるのか」
「信じねえならそれでいい。同じことを二度言わせんな時間の無駄だ。不満なら殺せばいい。それか力づくで止めて、その後にテメェら二人で何とかしてみせろ」
「……やっぱ死ぬ気なんじゃないのか?」
「死なねえ。次は無視するぞ」

無茶苦茶にも程がある物言いに溜息をつくこともできない。突飛過ぎたその話のおかげか、逆に冷静になれてきた。
危険なにおいを感じる。話にもこの男そのものにも。
今のは説明とは名ばかりの提案だ。もっと言えば脅しに近い。これでは言われた通りにする以外にないではないか。
そして賭け金は自分の命ときた。自分を殺すか提案に乗るか。こんな二択を平然と突き付けられるなんてイカレているとしか思えない。

「連絡終わりました!全兵力をすぐこっちに持ってくるそうです!」

襲撃への備えがてら、T字路の影に隠れて通話していたジンが戻ってくる。聞いたアステガは足早に扉へと歩を進めた。

「そうか。あとは適当にやってろ。じゃあな」
「ちょっと待った。あんたは動くな。悪いけど脚撃って動けなくさせてもらうぜ」
「おう。そうしろ。俺一人を相手にしてる場合だと思うんならな。そのつもりならこっちも死ぬ気で抵抗させてもらうぞ。言っとくが、今の時点で俺が獅子心中の虫だってことは連中は知らねえからな」
「……ん?獅子心中の虫?なんだって?」

言葉と裏腹に銃を向けたジンに彼は背を向けたままだ。ハルトの足元に転がった剣を拾おうともしない。その一切ブレ無く非戦を表すような姿がすれ違うのをハルトは目で追った。
ポーカーフェイスが過ぎて嘘か真かの判断に迷う。顔が見えなくなるかどうかといったところで声をかけた。

「……もし」
「あ?」
「もし今言ったことが全部真実だとして。じゃあ何であんたはそんなことをしている?仲間を裏切って、自分の立場を危うくして、そうまでして俺達とティアの手助けみたいなことをする理由は何だ?」

間髪入れずにアステガは口を開く。即答以上に信用できる返事はないという計算の上、何よりの本音をぶちまける。

「馬鹿言うな。俺は俺のやりたいようにしているだけだ。奴らのやってることが気に入らねえからその企みを潰す。その為により有効なもんがあるなら利用する。何かおかしいか?……あと俺は奴らの仲間になった覚えはねえ」

疑いは消えない。一番不自然な点がまだ残っている。

「おかしいだろ。あいつらをぶっ潰すことが目的ならティアを助ける必要はなかったはずだ。」
「『企みを潰す』って言ったよな。ここの組織だけじゃねえ。俺達がしたいのはただの嫌がらせなんだよ。こんな下らねえことを考える奴の鼻を明かしてやりたいってだけだ。それにはこの事件を起こした奴をどん底まで叩き落として不幸にされた奴に幸せになってもらうのが一番効果的だろう」

あまりにあんまりな理屈に二人は返す言葉を思いつかなかった。そんな理由で潰されたとしたらそれはそれでこの組織が哀れにさえ思えてくる。
また今の発言が真意だとすれば徹頭徹尾自己満足の為だけに命を賭けていることになる。とんだ荒馬だ。
ジンはこれ以上この男と関わることに抵抗を覚えた。もう勝手にしてもらった方がこちらも面倒がなくなっていいのではないのかと。しかしそう思わせる話術である可能性も否定しきれないわけで。

「わかった。今だけはあんたの言葉を信じよう」
「ハルトさん?」

だが、ハルトは呆れと共に何かが腑に落ちたのを感じた。
なるほど、嘘だろうと本当だろうと、そういう愉快な馬鹿は嫌いじゃあない。
覚悟を決めたような、そんな凛とした光を目に宿してハルトはアステガと向き合う。

「確かにこの状況でティアを見つけても逆に危険に晒すだけだ。ならここを制圧してから探すしかない。それは事実だからな。言いくるめられてやるよ」
「そうか。じゃあな」
「待て」

再三の引き留めにいい加減苛立ちを覚えてきたアステガは眉間にしわを寄せて振り返った。
面食らった。視界に飛び込んできたのは自分の剣。そしてハルトがそれをこちらへ渡している姿。

「たとえ今だけでも信じた以上は俺達は仲間だ。そんな囮みたいな真似させられるか。甲板へは俺達三人一緒に出る」

脳の奥底で噛みくだく。ハルトが発したその言葉に、アステガはまた困惑する。
自分の考えが異質なものであることはアステガも自覚していることだった。そんな奴の話を信じるだけでなく行動を共にすることのどこに意義があるというのか。ましてや武器を返すなど愚以外の何であろう。
普段から信頼を自分に近しい存在にだけ許していた彼にとって、それは理解しがたいものだった。
しかし演習という競技に馴染みのあったハルトの考えは違う。
たまたま同席しただけの相手でも信頼し結束してことに当たらねば、集団という力に飲まれて敗北する。彼はそんな環境で腕を磨いてきたのだ。
それに小勢となり敗れるも裏切りにより敗れるも同じことだ。それならばたとえ危険でも協力した末に生き残る可能性に賭けてみようと思った。
もちろん囮にすることを人道的に考えて後ろめたいと思ったというのもある。

「ちょっ!ハルトさん!?何考えてんすか!?」
「悪いな、ジン。ここは俺のやりたいようにさせてくれ。……言っとくが却下しても勝手についていくからな。嫌ならここで俺達を倒してから行け」
「意趣返しのつもりかよ。正気か?」
「お互いさまだろ。……受け取れ」

言われるがままアステガは剣を手に取る。道理が通っている以上ここでは大人しく提案に従った方が無駄な衝突を避けられるか。
それを承諾ととったハルトは少しだけ安堵した。

「あと名前くらいは教えてくれよ。俺はハルト。こっちはジン。さっきから何度も聞いてるとは思うけど形式上な」
「アステガ。……二手に分かれないならそこの裏口は閉めて別のルートを行く。不意打ちくらう可能性は少しでも減らしておきたい」
「わかった」
「あとこの奥、屋上へと続く階段の前には扉がある。一度引くことになるがそいつも閉めていくぞ。万が一にもあの人質をまた人質にとられるようなドジ踏みたくはねえ」
「………ありがとうな」
「行くぞ」
「そうだな、行こうぜ」

簡単に自己紹介して数度の言葉を交わすと、すぐに二人は行動を開始する。
随分話に時間をかけてしまった。もう敵がすぐそこまで来ている可能性だってある。

「え……ええー?」

その異質な結束についていけない様子のジンも、二人と離れるわけにいかず後に続く。
独断してしまったことを申し訳なく思い、ハルトは苦笑いをした。
全てが終わったら詫びを入れよう。この判断が間違いだとしたら、その時は謝りようもないな。

「……乗りかかった舟だ。盛大に暴れてやるさ」

歩きながら、自分を奮い立たせるように言ってハルトは両頬を叩いた。
戦士達は進む。戦場への道をゆっくりと。各々が望む未来を掴み取ろうと。



薄暗い螺旋階段を上へ上へと回る。繰り返される景色にゲシュタルト崩壊を起こしそうになる。
城を進む中でティアは自分がどれだけ弱いか、今まで周囲の人達が自分をどれだけ助けてくれていたのか、それがどれ程ありがたいものなのかを思い知った。
何度立ち止まって泣き出しては誰かに手を差し伸べてもらえることを期待しただろう。自分の恐怖心に誰も応えてくれないことに絶望しかけただろう。
重く痛い体を何度地面に投げてやろうと思ったことか。濁りを帯びた意識を捨てることができたらどれだけ楽だろう。
一度確かに投げ出したはずの自身の心が、再び幸せを願っているということに疑問を抱いたりもした。
それでも歩みは止めなかった。

もう一人はいやだ。

はやくあの人にあいたい。

そんな純粋な願いが挫けそうになる度に強く強く膨らんでいったから。
引かれるように体は進む。この階段の先へ、先に広がる光景の先へ、その先の先へ、進むことで願いが叶う気がした。叶えられる気がした。
その為ならどこまでだって行ける気がした。
警鐘を鳴らすかのような心臓の鼓動と荒い呼吸が、体に起こっている異常からか、自分が恐怖を感じているからか、それとも人を想ったことによるものなのか判別がつかない。
ただ少なくとも嫌な感じはしなかった。

階段が繰り返すことをやめる。短い踊り場の先に鉄扉が現れた。ついていたのっぺりとした窓が、見慣れた空を映していた。
ティアはそれにもたれかかるように手をついた。体から力が一気に抜けるのを感じ、慌てて引き留めた。今抜けきったら間違いなく起き上がれなくなる。なんとか持ちこたえようと下唇を噛んだ。
体重を預けるのをやめ、支えるように両手を扉につく。自然と頭が下に下がり、頭の中が揺れる感覚に酔いそうになる。
深く息を吐き、深く吸い込む。何度か繰り返して息を整える。
止まってみて初めて相当無理をしていたらしいことに気づいた。全身から溢れ出てくる汗が呼吸の邪魔をした。
脚が笑っている。翼も力なく震えている。
へたり込むのはまだ早い。ただ意識をつなぎとめることを全力で意識した。

だって、だってまだあたしは、やりたいことをなにもできてない。

そうして意識と無意識の間をしばらくさまよっていると、今度は体の熱が寒気に変わって全身を麻痺させてくる。
唇の感覚が消える。頭の後ろから耳にかけてと喉に先から感じていた、慣れぬ運動故の痛みもよりはっきりしたものに変わる。
だめだ。こうしていてもやっぱり動けなくなりそうだ。
顔を上げて、窓の外に広がる空を見る。
あの時、自分を逃がしてくれた人は騎士団がこの飛空城に向かっていると言っていた。
それなら、あとはこの扉から外に出て、それを探してから助けを呼ぶだけ。
そうすれば全部終わる。ようやくスタートできる。
体調のことは考えなくていい。そんなこと今はどうだっていい。
その先へ、その先へ。今は進め。逸る気持ちが示すがままに。

ドアのノブに手をかけた。手汗と発揮できる握力の弱さから上手く回せない。
もうすぐだよと心の内で言った。誰かへと発信するように、そうして自分を奮わすように。
両手で覆って、全身を回転方向へと傾けるようにしながら回していく。

もうすぐだよ。もうすぐあいにいけるよ。

回しきったところで鎖骨の辺りを扉に押し付ける。しなだれるように体重をかける。
大きく息を吸って、止めて、目を固く閉じて、今あるありったけの力を脚に込めて床と目の前の障害にぶつける。
ゆっくりと光を増すように扉は開いていった。まぶたが赤く燃えていく。
人一人が通れる程度の幅が開いたことを感じると、自分の身を擦るように隙間へと進んでいく。
そうして端に至るとそのまま倒すように体を外へと投げ出した。



一面の青空は自由の象徴であると同時に縋るものが無いことの証明でもある。
外に出ると、すぐに強風がティアを襲った。体が煽られ倒れかける。開けたドアもまた、大きな音を立てて閉まった。
鼓膜を叩き全身を奮わせるようなその音にティアは驚いて振り返る。

そうして辺りを見回してしまった。

屋上、少しの足場と扉しかないそこから見下ろす飛空城の全貌は恐ろしく遠く、低い。
空には遮るものは何もなく、まるで青色をした何かの群衆に囲まれたかのよう。それらは容赦なく自分の体を風という手で叩きつける。
ティアは膝を折った。そのまま動けなくなった。辺りに何もなさ過ぎて、手をついた床さえ脆く頼りないもののように感じた。いつか崩れてしまうかもわからない、そんな誇大な不安に身が竦む。
落ちてしまわないようにと体を縮こまらせた。そんな姿を白くわかりやすく照らすばかりの陽光が、今だけやけに残酷に感じる。
幸福への想いが恐怖に握りつぶされているようで、それでも尚絶望できないでいる。こんなじゃ進むも引くもできそうにない。
もうすぐなのに、あとはみつけてもらうだけなのに、それなのにこえもだせない。
聞こえるのは風の音だけ。あとは助けに手を伸ばすだけなのに、それなのに震えて立ち上がることもできないなんて。

おねがいします。だれか、なんでもいいからあたしにちからを、ゆうきをください。

願ったその時だった。自分を責めさいなむばかりだった風が声を運んできた。
幽かだけど、確かにそれは声だった。
聞き間違えようがない声だった。
消音。空の青色がただの壁紙へ、陽光はただのスポットライトへと変わる。
這って、這って、声の先へ。屋上の端へ。
聞き間違えるはずがない。
ずっと聞きたいと思っていた声だから。
聞きたくて聞きたくて、ずっと焦がれていた声だから。
端へと至り、階下にある甲板を見下ろす。
ぼやける視界で、ティアはそこに夢を見つける。夢にまで見た人を見つける。
一目でわかった。周りの有象無象は眼中に入らなかった。
何故彼がここにいるのかなど考えることもできなかった。幻覚なのでは、本当に夢なのではなどという考えにも及ばない。

ただ、ただその人がそこにいた。自分の目に入るところにいてくれた。

また会える。

その事実が嬉しかった。

心に溜めこんでいた感情が体中ににじむ。体外にまで溢れだす心地がする。温かい気持ちに包まれていく。涙まで流れ出す。
それに任せるように、また大きく息を吸い込む。助けを呼ぶことなど既にティアの頭にはない。
もう他のことなんてどうでもいい。

想いを伝えたい人はすぐそこにいる。

あたしは、このときのためにここにきたんだ。

自分の持っているもの全てを残らず放つように、
彼の元へ飛び降り、舞い降りるような気持ちで、
ティアは呼びたくて仕方なかった、その人の名前を呼んだ。

 

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